シャムキャッツというバンドについて

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もうすぐ平成が終わるらしい。
にも関わらず自分は、いつも通りひび割れたウォークマン小沢健二を聴いていて、自分で自分にゾッとした。90年代への憧れの精算できなさに。

でもやっぱり、90年代の小沢健二中村一義こそが自分にとってのカルトヒーローで、いつまでも特別な存在として居座り続けてるんだからしょうがない。

と、平成6年生まれの自分がそんなステレオタイプな90'sボーイになってしまうのもいかがなものかと思いつつ、10代後半という最も感性豊かな時期に、リアルタイムで確かに''本当のこと''を歌ってると実感できたのが、andymoriシャムキャッツくらいしかいなかったのだからしょうがないと開き直りたい気分。

とは言え、いつまでも失われたものに幻想を抱いていられないので、精算とは言わないまでも、自分の中の正史を整理しようと思う。現代に鳴らされるシャムキャッツという新たなヒーローにフォーカスを当てながら。

90年代に鳴らされる音楽は、ニヒリズムとどう向き合うかという主題が確かにあって、そんな時代で最も偉大な宣言が、中村一義の「ただ僕らは絶望の''望''を信じる」だったと思うのだ。



では、00年代以降そんな主題が消え去ったのは何故だろうか。
きっと僕らは慣れ過ぎたのだ。もはや「失われた10年」なんてもんでもないし、「大きな物語」なんて、消え去ったのすら今や遠い昔の話。生きてる実感すらもなければ、虚無や悲しみすらも痛覚麻痺で感じられない。『SAPPUKEI』に『空洞です』、なんて端的で象徴的やタイトルだろうか!絶望がなけりゃその''望''すらも信じられない、そんな時代だ。

では、そんな時代に鳴らされる音楽で、最も有効な宣言は何だろうか。

それこそが、シャムキャッツの、
「僕らは愛を片隅で抱いていようかなと思ってるところ」だと思うのだ。



そしてそんな宣言は、
10年代以降の所謂''シティポップ''ムーヴメントと強く結びついてるように思う。

ここでいうシティポップとは、都会的で洗練されたグッドミュージックのことではなくて、郊外を含む都市の営みを描くことで何かをあぶり出そうとする試みのこと。とても乱暴に言うならば、一十三十一やLucky Tapesのことではなく、ceroの『街の報せ』やthe chef cooks meの『環状線は僕らを乗せて』や阿佐ヶ谷ロマンティクスの『街の色』というアルバムのことだ。

政治も信用できないし、何だか世の中歪みまくってるけど、とりあえずそれぞれが自分たちの生活を見つめ直して大切にしようぜ、だってそれしか確かなことってないっしよ?的な運動だ。
そして、そんな運動に拍車をかけたのが、震災というさらに大きな歪みだったと思う。

『everyday is a symphony』というアルバムで上記のようなシティポップに先鞭をつけたクチロロが、『いつかどこかで』という決定的な大傑作を産み出したのも、シャムキャッツを確実に次のフェイズに押しやったのも間違いなくこの歪みであったはず。

だって、シャムキャッツの最高傑作、いや、2010年代の最高傑作『AFTER HOURS』は、震災がなかったらきっと生まれていないから。
液状化した浦安を舞台に、市井の男女が織りなすささやかな10枚のシークエンス。

このアルバムの夏目知幸のリリックは、革新的と言っても大げさじゃないと思うのだ。
こんなにも、神の視点と一人称をシームレスに行ったり来たりする歌詞があっただろうか。
このアルバムでの夏目知幸は、ありふれた風景を丁寧に掬い取るストーリーテラーであり、現代を生きる僕らに何かを伝えようとするメッセンジャーなのだ。

リードシングル『MODELS』では、同棲するトラックドライバーの彼氏と会社員の彼女を描きながら、サビで次のように歌われる。

小鳥がさえずり僕らの目覚めを促す頃
なるべく長く続ける為にはちょっとした
工夫もいるんだなんてこと
若いなりに彼は考えている

 
流れていく時間の中で終わって行くもの、変わって行くこと。それでも自分たちの生活を続けて行くこと。
そんな、現代で最も大切なことが描かれている。

神様を信じる強さとか、朝が来る光とか、そんなものを信じられない時代でも、世界の片隅で一人一人が愛を抱きながら生活すること。
それこそが、生きることを諦めてしまわないための最良の選択肢なのだと。

荒々しいグルーヴやコンセプチュアルな作品性を手放して、よりシンプルな形で、瞬間的でフラジャイルな煌めきにフォーカスを当てた『Friends Again』



その音に、ヴォーカルに、リリックに、耳を澄ませてもらえれば、言葉にならないフィーリングがきっと伝わるはず。

「僕らは愛を片隅で抱いていようかなと思ってるところ」という宣言から約8年、形式とニュアンスを変えながら、それでもいつだってそんな宣言が確かに通底していて、だからこそ僕はいつだってシャムキャッツというバンドに何かを託してしまいたくなる。

最後に、シャムキャッツ史上最もストレートなロックバラード『マイガール』から、何度聴いても涙腺が緩んでしまう一節を引用して締めくくりたいと思います。

だいたい世の中は暗い?
つらいことばっかり?
ヒルなやつはいいね
楽しそうにしているさ

それはそれで マイガール
こっちにおいで マイガール
ちょっとあったまるだけ
それがいいさ マイガール

過剰なエモーショナルもナルシズムに似た諦念もクソくらえだ。 
この世の全てのポップミュージックがこんな気持ちをこめて歌われていればいいなと僕は思ってしまいます。